秋田県潟上市「佐藤食品」は、80余年の老舗佃煮屋です。

秋田県潟上市「佐藤食品」は、創業以来、80余年の秋田佃煮の老舗店です。頑固職人達が生み出すこだわりの佃煮。

秋田県潟上市「佐藤食品」は、創業以来、80余年の老舗佃煮屋です。頑固職人達が生み出すこだわりのつくだ煮。
秋田県潟上市昭和大久保字片田千刈田26
018-877-2054

かくちょう通信

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カクチョウの佃煮とは 

佐藤食品株式会社は
秋田県八郎潟の豊富な小魚を原料に、
昭和初期から佃煮作りを始めました。
お客様に『おいしい』と言われるため、
長年にわたり多くの試行錯誤を重ね、
現在に至っております。
より美味しい食品を求め、
その挑戦は今日も続けられています。

佐藤食品は昭和7年創業。
初代長之助から一字をとり、
角長(かくちょう)を屋号と
しました。
地元では『サトチョウ』と呼ばれ、
親しまれています。

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秋田佃煮佐藤食品秋田佃煮佐藤食品
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佃煮の名称と由来

 1583年(天正10年6月2日)明智光秀が本能寺に織田信長を襲った時、盟友家康の一行はわずかな手勢で堺にいた。光秀がほうておくわけがないと察知した家康は急ぎ三河への脱出行動を開始し、三河とは逆の方向、大阪、兵庫の海辺へと急いだ。神岬川にさしかっかた時、船がなく困っていた一向に素早く手持ち舟や、漁船を集めてきたのが、摂津国佃村(現、大阪市西淀川区佃町)の漁民であった。
 慶長8年(1603年)家康が江戸幕府を開いた時、佃村の漁民33名を江戸に呼び、石川島に近い島を居住地として与えた。漁民は、故郷の佃村に因み「佃島」と名付けた。彼らは白魚などの漁をしながら江戸城内の台所を賄う漁業権を与えられた。
 離れ小島であるため時化どきにはお菜に事欠き、叉、漁期には腐らない副食物が必要なところから小魚を塩辛く煮込んで保存食とし、千葉より醤油が渡り塩煮と共に醤油煮を造り、余ったものを佃島にちなんで「佃煮」と命名し江戸市中に売り出したのが始まりとされているのが一般的なようでる。

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